史跡北近江城館跡群下坂氏館跡を追加指定しました
史跡北近江城館跡群下坂氏館跡
- 時代:中世
- 指定:史跡(国指定)
- 追加指定日:平成23年9月21日
- 合計(追加指定後)面積:20,797.99平方メートル
北近江城館跡群下坂氏館跡は、滋賀県北部の長浜平野の南西部に位置します。
下坂氏は、当時この周辺を治めていた人物で、足利氏等の関係を示す史料が存在し、館跡内には2重の土塁や、堀が現存しています。
発掘調査は平成16年から行われ、平成19年度には館跡の東側40メートルの場所に堀があることが分かりました。こういった調査の成果をもとに、史跡北近江城館跡群下坂氏館跡の追加指定がおこなわれました。
※平成18年1月26日に指定された史跡下坂氏館跡に、平成19年7月26日に三田村氏館跡が追加され、史跡北近江城館跡群下坂氏館跡 三田村氏館跡に名称変更しています。今回は下坂氏館跡内における追加指定で史跡の面積が広くなっています。
史跡 北近江城館跡群 下坂氏館跡の説明
1.地理的概要
下坂氏館跡は、滋賀県北部の長浜平野の南西部に位置し、東に伊吹山麓、西に琵琶湖を望みます。館跡の北側に姉川を源とする五井戸川が流れ、自然堤防上の微高地で周辺を森に囲まれた小高い場所に位置しています。
2.歴史的概要
下坂氏は近江国坂田郡下坂庄の国人領主でした。下坂庄は下坂中、大戌亥、高橋、下坂浜の四ヵ村からなっています。
下坂氏は建武3年(1336)7月の足利直義からの感状を始め、佐々木氏・京極氏・浅井氏との関係を示す史料が存在します。特に天文11年(1541)頃から、京極氏や浅井氏との関係を示す文書が数多く出現し、天正元年(1573)浅井氏滅亡までの下坂氏との関係がよく分かります。これらの文献は697点に及び、下坂家文書として市の指定文化財となっています。下坂氏は浅井氏滅亡後に帰農します。
3.遺構概要
遺構は、東西約89メートル、南北約87メートルの範囲において、高さ約1から2メートル、幅約2から5メートルの2重の土塁で囲み、幅約5から13メートル、深さ約1から3メートルの堀が現存しています。南側で土塁、堀が失われていますが復原が十分可能です。
主郭は東西約55メートル、南北約42メートルの内側土塁によって囲まれ、その北東側と南西側の2つの副郭により構成され、南西側の副郭は一段高くなっており、武者たまりと考えられます。下坂家の伝承では、その副郭に有事の際に立籠もり、防戦につとめたと言います。内側土塁の東側に高さ約2メートル、幅約7メートルの虎口を設けており、東側平坦部の東西約75メートル、南北約45メートルの腰郭へと続きます。
また、下坂家の菩提寺である不断光院の東側に幅約5メートル、長さ約30メートルの土塁が現存しており、さらに南東部に土塁、堀が設けられていたと思われます。
館内南東に下坂氏の菩提寺で木造入母屋造茅葺の不断光院の本堂と切妻造茅葺の門があります。古くは天台宗に属して西福寺と称していましたが、後鳥羽上皇の皇子が当寺で薙髪して高雲山不断光院と称したのを機に寺名を改めました。観応年間(1350から1351)に再興され、浄土宗に転じ現在に至ります。
館中央に切妻造茅葺の門と木造入母屋造茅葺の主屋と主屋の北東と南西に屋敷社が祀られています。不断光院及び主屋の建築時期は18世紀前期と考えられ、門も同時期と考えられます。
下坂氏館跡は室町時代の土塁、堀、主郭、副郭、腰郭の遺構が残っており、滋賀県下においても屈指の平地城館遺構です。下坂氏は京極氏との関係や浅井氏との関係上重要な存在であり、遺構の残りもきわめて良好で貴重です。
お問い合わせ先
長浜市教育委員会 文化財保護センター
- 住所:526-0802 滋賀県長浜市東上坂町981
- 電話:0749-64-0395
- ファクシミリ:0749-62-6357



