国宝「宝厳寺唐門」

・指定日:昭和28年3月31日

・所在地:長浜市早崎町

宝厳寺唐門 竹生島に到着した遊覧船から降り、港から島を見上げると、左手に本坊・月定印(がつじょういん)、右手に朱色の三重塔・宝物殿・重要文化財の観音堂が急峻な傾斜地に建立されているのが見えます。

 この観音堂の前面に車寄(くるまよせ)のように建っているのが国宝・宝厳寺唐門(ほうごんじからもん)です(写真上)。中央が高く、左右になだらかな曲線で垂れる破風(はふ)を唐破風(からはふ)と言いますが、その唐破風がついた門のことを唐門と呼びます。この宝厳寺唐門は、慶長7・8年(1602・03)、豊臣秀吉の子秀頼によって、京都豊国廟(とよくにびょう、=秀吉の亡がらを葬った廟所)の建造物を竹生島に移築するかたちで、当時荒廃していた竹生島の伽藍(がらん)整備を行ったときの移築建造物群の一つと考えられています。豪華絢爛と評される桃山様式の建造物の特徴がよく表れており、破風板内部の正面中央には大型の蟇股(かえるまた・写真下)が置かれ、その内部は牡丹の彫刻で埋められています。蟇股の外部や脇羽目(わきはめ)なども多彩な彫刻で埋め尽くされ、極彩色で飾られています。現在は、長年の風雨によりその華やかな色もずいぶん褪せていますが、建立当初は、黒漆塗りの躯体(くたい)と、赤・黄・緑などの極彩色とが鮮やかなコントラストで映えていたことでしょう。

宝厳寺唐門蟇股 さて、先ほどこの唐門は慶長年間に京都から移築されてきたものだと言いましたが、実はその前にも一度移築されていると最近の研究によって分かってきました。また、近年のある大発見によってさらに唐門の注目度がアップしてきています。2006年、オーストリアのエッゲンベルグ城に飾られていた壁画が、実は豊臣時代の大坂を描いた屏風絵であったということが判明したのです。しかもそこには大坂城の様子も詳しく描かれていました。そこには本丸と二の丸の間にかかる極楽橋が描かれていたのです。この橋は、廊下橋という形式の橋で、橋の上には屋根や望楼を持つ豪華な橋です。大坂城の極楽橋は慶長元年(1596)に建造され、慶長5年(1600)に京都の豊国廟へ移築され極楽門として設置されたことが分かっています。さらに、慶長7年(1602)に竹生島に移築され現在に残っているというわけです。江戸時代の初期に徳川家によって破却された豊臣時代の大坂城の一部が唯一、長浜市の竹生島に現存しているのです。

 秀吉が、初めて城持ちの大名となった地である長浜に、栄華を極めた秀吉の象徴とも言える大坂城の遺構が残っていることは、さすがに深いつながりを感じさせます。

(『広報ながはま』平成24年2月1日号より)